Netflixで『SとX』を見て、原作を追いかけようとした人が最初につまずくのが、作品が2つあることです。
ドラマの土台になった『SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~』は、すでに完結しています。
全3巻。いま毎月更新されているのは、その続編『SとX セラピスト霜鳥壱人の診察室』のほうです。
そして続編は、第1話からいきなり小学生のネット性被害を扱いました。
前作を読んだ人ほど、この始まり方に驚いたと思います。前作は大人の話でした。
セックスレス、ED、性的トラウマ。
人生の途中で行き詰まった大人が診察室に来る話です。それが続編では、被害者が子どもになった。
この記事では、その編で何が描かれているのか、なぜその描き方なのかを整理します。作品を読んでいない人でも分かるように書きます。
まず前提:『SとX』とはどういう作品か
初見の方のために、3行で。
舞台は「すずしろノースクリニック」。
主人公の霜鳥壱人は、精神科医であり、認定セックスセラピストです。人に言えない性の悩みを抱えた人が、彼のところに来ます。
この作品の面白いところは、霜鳥自身が治っていないことです。
彼は子どもの頃の出来事が原因で、自分自身が性に強い恐怖を抱えている。
他人の悩みは解けるのに、自分の問題からは逃げ続けている。
つまりこの作品は、最初から「専門家でも救えない」という前提に立っています。
ここを押さえておくと、続編の読み方が変わります。
続編『診察室』の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | SとX セラピスト霜鳥壱人の診察室 |
| 作者 | 多田基生 |
| 掲載 | 講談社「モーニング・ツー」/コミックDAYS |
| 更新 | 毎月第1・第3木曜 |
| 連載開始 | 2026年1月1日 |
| 前作 | SとX ~セラピスト霜鳥壱人の告白~(全3巻・完結) |
ネット性被害編は、第1話から第4話。単行本の第1巻に収録されています。
連載開始が2026年1月1日で、第1話が無料公開、同時に第2話も先読み公開されるという打ち出し方でした。
つまりこの編は、続編の「顔」として置かれています。何を扱う漫画になったのかを、最初のエピソードで宣言している。
前作の連載媒体は紙の『イブニング』でした。続編はウェブです。
この移動も、たぶん偶然ではありません。ネットで起きたことを、ネットで読む媒体で描く。
この編で何が起きるのか
公式のあらすじは、2つのことを打ち出しています。
1枚の画像が、想像以上に波紋を広げること。 匿名の世界で動く加害者たちに対して、霜鳥が何をするのか。
相談に来るのは、小学生の女の子です。
自分の画像を送ってしまい、それがSNS上で広がっていく。
詳しい経緯はここには書きません。
作品を読んでください、という意味もありますが、それ以上に、その部分を細かく書くことに公益がないからです。
この編の要点は、経緯ではなく、そのあとに起きることにあります。
論点1:加害の痕跡は消せる。被害の傷は消せない
この編でいちばん残酷な事実として描かれるのが、時間の非対称です。
読者レビューによれば、加害者側は警察が動き出すおよそ8か月前にアカウントを削除していたとされます。つまり、追う側が動き始めたときには、痕跡はもう存在しない。
一方で、拡散した画像は消えません。そして被害を受けた本人の記憶も消えません。
加害の側の証拠は8か月で消える。 被害の側の傷は、何十年も残る。
この構造が、たぶんこの編の設計思想です。そしてこれは、前作の霜鳥自身の設定とまったく同じ形をしています。彼が見せられたのは小学5年生のときの一場面ですが、その一場面は40代になっても消えていません。
前作と続編は、「一瞬で刻まれ、何十年も残る」という一点で完全につながっています。 被害者が大人から子どもに変わっただけで、扱っている現象は同じです。
論点2:加害者は、遠くの怪物ではなかった
判明する加害者は、塾の塾長だったとされています。子どもに関わる仕事をしている人間が、加害の側にいた。
この構図自体は、正直よくあります。レビューでも「よくある構図」という冷めた指摘が出ていました。ただ、この編が一歩進んでいるのは、その先を描いていることです。
塾長が逮捕され、信用を失う。すると、何も知らなかった講師たちまで職を失いかねない状況になる。
ここが重要です。加害者を切り離して罰して終わり、にしていない。
なぜこの描写が要るのか。現実で、通報がためらわれる最大の理由がここにあるからです。
加害者は、たいてい誰かの上司であり、地域の信用の中にいて、その人の周りには生活のかかった人が何人もいる。
「言えば、あの人たちが困る」という計算が、被害を告げる側の口を止めます。
沈黙は、被害者の弱さから生まれるのではありません。周囲の人間関係の重みから生まれます。 この編は、そこを見ています。
論点3:本題は「自分の体は自分のもの」
そして、この編の中心にあるのがプライベートゾーンの考え方です。
自分の体は自分のものである。誰かに見せる義務も、触らせる義務もない。この一文を、子どもがどう受け取れる状態にしておくか。
同時にこの編が問い直しているのは、大人の側の抵抗感です。マイナビニュースの連載見出しは「子どもたちには早すぎる!?」という問いかけの形になっていました。早すぎるのではないか、と言っているのは誰なのか。
ここが、この編を単なる被害の物語にしていないところです。テーマは被害そのものではなく、大人が黙っていることのコストを、子どもが払っているという構図のほうにあります。
現実のデータで裏を取ると
作品の話から少し離れます。この編が描いていることが、どのくらい現実に即しているのか。
警察庁と政府広報の資料で確認しました。
自分で撮った画像による被害は、主流です。
政府広報オンラインは、児童ポルノ被害の約4割が「児童が自らを撮影した画像に伴う被害」であるとしています。だまされたり脅されたりして、自分で撮って送らされる形態です。
作品が描いているのは例外的なケースではありません。
きっかけの投稿は、性的な内容ではありません。
ここがいちばん重要です。
令和4年のSNS起因事犯で、被害児童と加害者が知り合うきっかけになった最初の投稿は、被害児童側からのものが74.9%でした。
ただし、その投稿内容の内訳を見ると、「プロフィールのみ」「趣味・嗜好」「友達募集」「日常生活」「オンラインゲーム友達募集」が合計で53.7%を占めています。
つまり、子どもは危ない投稿をしていません。
好きなアニメの話をし、ゲームの友達を募集し、今日あったことを書いている。
そこに合わせて近づいてくる大人がいる、というのが実際に起きていることです。
「変なことを書かなければ大丈夫」という指導は、この数字の前ではほとんど機能しません。
法律も動いています。 令和5年7月13日施行の刑法改正で、強制性交等・強制わいせつが不同意性交等・不同意わいせつに改められました。
同時に、子どもに対する面会要求等の罪、そして性的姿態撮影等処罰法が新設され、警察庁の統計上の対象犯罪にも令和5年から追加されています。
作品がこのタイミングで連載を始めたのは、たぶん偶然ではありません。
作者が言っていること
ドラマの配信開始に合わせて、作者の多田基生さんへのインタビューが新聞に載りました。そこで語られていたのは、性教育の方法論ではありません。
性について語りたくない、恥ずかしいと思う人は多いはずだ。
その気持ちをなくせと言うのではなく、どうして語りたくないのだろう、と考えるきっかけになってほしい。おおよそ、そういう趣旨のことを話されています。
この姿勢が、この編にそのまま出ています。
ふつう、この手の作品は「もっとオープンに話そう」と言います。
でもそう言われた瞬間、話せない人はもっと黙ります。話せないこと自体を責められている気がするからです。
この作品は、話せない理由のほうを見ています。
だから、被害を受けた子どもを「なぜ言わなかったのか」と問い詰める構図になっていない。
大人がこの編を読む意味
最後に、私がこの編をどう受け取ったかを書きます。
これは子育て中の人だけの話ではありません。かつて子どもだった大人の話でもあります。
前作の霜鳥は、小学5年生で見たものを、40代まで一人で抱えていました。誰にも言わないまま、専門家になり、他人の悩みを聞き続けていた。
同じ人が、続編ではもっと若い被害者と向き合っています。
この配置は明らかに意図的です。霜鳥が子どもの頃に誰かに聞いてもらえていたら、彼の人生は違ったかもしれない。 その仮定を、彼はいま目の前の子どもに対して実行しようとしている。
そして続編でも、霜鳥自身はまだ治っていません。公式のあらすじにも、彼が葛藤中であることが明記されています。
聞く側にまわったからといって、自分の傷が消えるわけではない。 その一貫性が、この作品を安っぽくしていない一番の理由だと思います。
いま子どもの被害の話として読んでいるものを、20年前の自分の話として読み直せる人が、たぶんかなりいます。
情報の確度について
正直に分けて書いておきます。
公式で確定していること 話数と収録巻、公式あらすじの文言、テーマがネット上の性被害であること、連載開始日と更新頻度。
読者レビューをもとにした情報 画像が拡散する経緯、8か月という期間、加害者が塾長であること、講師たちへの影響。
私の読み 前作と続編の構造的なつながり、作者インタビューとこの編の結びつき。
私自身は各話を通読していません。
上記のうち後ろの2つは、実際の作品と食い違う可能性があります。気になった方は、第1話が無料公開されているので、そこから確認してみてください。
相談先について
この記事を読んで、自分の話だと思った方へ。子どもの頃のことでも、いま起きていることでも、相談できる場所があります。
- 警察相談専用電話 #9110(緊急でない相談)
- 児童相談所虐待対応ダイヤル 189(いち・はや・く)
- 性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター #8891(はやくワンストップ)
拡散した画像の削除については、セーファーインターネット協会などが相談を受け付けています。「もう消せない」と思っている場合でも、まず聞いてみる価値があります。
そして、何年前のことでも遅くありません。霜鳥が過去を口に出したのは40代でした。

